視座を高めるとか書くとちょっとあやしいにおいがしますね。そういうのはあんまり好きじゃないんですが、ちょっと最近似たようなことで思うことが多いので触れてみようと思います。
最近、クオリティについて考える機会が多くてですね、動画とかしゃべりとか、企画とかサービス全般とか音楽とか。クオリティって、そのときの評価基準が人それぞれあるじゃないですか。自分がこれくらいで十分と思ったものに対して、他の人は全然ダメだと思ったり。だからクオリティを上げるためには、その評価基準を高めるのは重要だと思うんですよね。で、問題になるのが、どうやって評価基準を上げるのか?です。今日のテーマはこれです。そして、その答えがタイトルの「想像力を養いながら視野を広げる視座を高める」なんじゃないかと。作家でクオリティ低い文章は最初数行で分かるとか、音楽家で最初の30秒もあれば大体分かるとかいう話はこれまでに聞いたことがあって、それを聞いた僕は「一部を聞いて全部が分かるなんて天才的やな」と思ってたんですよ。音楽で30秒とかってサビまでいってないですからね。でも思うにそういうことじゃなかったんですね。イントロでサビが分かるという話ではなくて、そこにかけた熱量の低さが30秒でばれるみたいな話なんじゃないかと。この作品からにじみ出る熱量って構造的に難しい点が1つあると思うんです。それは、熱量の上下があったときに、上から下は分かる、つまり熱量の高いものを前提としている人にとって熱量が低いのはばれるし、どれくらい熱量が低いのかがくっきり分かるんですが、逆の下から上は全然分からないんですよね。すごいけどめちゃくちゃすごいのか、手が届きそうなくらいすごいのかが分からないので、その場のノリでどっちなのかを判断するしかない。だから、まず自分より熱量が高いと感じたものに対しては、想像力が必要だと思うんです。その上で視野を広げること視座を高めること(広げる領域、高める高さがまだまだあるという認識をすること)が大事なんじゃないかと。そしてそういう視点で良いものづくりがしたいと思い続けていれば、この想像力と視野と視座には、リスペクトが伴ってきて、そこまでくると実は新しいジャンルに移ったとしても、ずぶの素人のジャンルにつっこんだとしても、一定の熱量をまとったものづくりが出来るんじゃないかと思います。